2012年12月17日月曜日

All about my Experience, and more

悲しいときは笑いましょう、嬉しいときは泣きましょう

はい皆さん、お元気ですか?

あれから朝まで呑み続けて、ちょっと休んで、さて出発の日です。
慌ただしくパッキングして、どうやら持ち込める制限重量をオーバーして、
僕のトランクには詰め込めないくらい目一杯、インドネシアのことが入ってます。


そしてKUNCIのミーティングルームでぼうっと、パソコンを開いてかたかたこのブログを
書いていました。横でDinaさんは爆睡、WoWok兄さんは誰かと外で話しています。ノニンさんはやっぱりパソコンを開いて妊娠の所作について調べているんでしょう。
いつもと変わらないKUNCIがそこにはありました。
一瞬にしてできたインドネシアの家族と、今日でお別れです。



そしてタクシーがお迎えに来ました。(天使のお迎えじゃないんでまだよかった)
それに乗って空港に、WoWokさん、Dinaさん、エリアさんと向かいます。
タクシーの窓から見える風景はインドネシアですが、僕が1ヶ月半、慣れ親しんだ思い出いっぱいの景色でもあります。時に雨にやられて、誰かのライブを見に行ったり、誰かのスタジオに行ったり、何かを食べにいったり、バイクのエンジンの音と共にこの景色に僕が垂れ流したものは数知れません。


それで、空港でみんなとお茶して、うるるん滞在記の曲が頭を流れると思いきや、そんなもん流れないで、それぞれの顔を見てるうちになんか泣いちゃいました。
情けないことに泣いちゃいました。
それでみんなと抱き合って、空港の中に入っていきました。



このインドネシアの滞在は、アーティストの調査と個人体験の経緯を紹介するのが目的です。僕が見てきて、ここで喋ったことは、さして珍しくもないかもしれません、だけど本当にあったことです。そしてアーティストを知るということは、その作品を見るだけではなくて、その人の生活、考え方、友達、関わっている環境すべて、まさに生き方そのものを体験することだと思っています。彼らの生き方や、僕の生き方というのが、作品に反映されて1つの結晶になっているんです。結晶?そんなキレイなもんじゃないだろ?って思うこともあります、だけど間違いなく、それは人間性が凝縮して固まったもんだと思ってるんです。だから、この体験を通じて、ジョグジャカルタで作品を作ること、ここでアーティストとして生きることが、伝わってくれたら幸いです。











さて、どうでしょうか?

そんなわけで、飛行機の中は思い出いっぱい、夜景からいろいろなことを思います。

Terima Kashi Yogyakarta!!!  ありがとう、心から。



ひとまず、帰ってまた日本で生活が始まります。

短い期間のブログでしたが、読んでくださってありがとうございました。
毎日更新するのは、ここまででおしまいです。
また、何かありましたら、ここで書くかもしれません。
ひとまずそれまで、しばしお別れ。


ではでは地球の皆さん、おやすみなさい。





2012年12月16日日曜日

We never say Good Bye


はい皆さん、お元気ですか?

さて、今日が最後の1日となります。
1ヶ月と半分しか経っていないなんて、ほんとに信じられない。いろいろありすぎて、1回死んだんじゃないかってくらい違う時間がこっちでは流れていました。
だけど、まだ生きてますよ、当たり前か。

最後になってジョグジャの雨が最大級にばっしゃばっしゃやってくれてます。
それで、WoWok兄さんがなんか「お前を新しいレストランに連れて行ってやる」というわけで、雨の中がんがんジョグジャの町をバイクで突っ走ってくれます。道路は灌水してる完全に、てかところどころ川みたいになってるところを、もう関係ないやって感じでがんがん水をはねてバイクは走っていく。対向車も勢いよくばしゃーって雨水をこっちにぶつけてくれる、もう雨水が面白いくらいに体にかかって、本当こっちは濡れるとか関係ないやって思わせてくれるくらいに潔い、そしてずぶ濡れ、こうやって濡れて道を走ってくれるだけで、どれだけ気持ちが切り替わってすかっとしたことか。



そんなわけで、着いたレストラン、Sate(焼き鳥みたいなやつ)を出してくれる老舗の店でした。それに唐辛子の炒め物、それをご飯でかけこみます。この滞在始めの頃は、辛いものを食べるたびに汗がぶはーって出て来て、1回分風呂をすませたくらいにすっかり顔がぴかぴかになってましたが、最近は慣れて汗もあんまりでません。って慣れると汗が止まるのかどうかは知りませんが。ですが、ここは侮っていた、汗が出ないかわりに、顎から耳にかけて顔側面が痺れてきました。やっぱ慣れるわけはないのでした。


ってそんなこんなで、雨が止んでKUNCIに帰ります。
帰るといろいろと細々なことを済ませて、それで何かカラオケに行こうって話しになって(てか昨日からDinaさんとエリアさんはカラオケに行きたがっていたんですが)なんのこっちゃない、行ってみました。で、ほとんど日本と変わりませんね、でもインドネシアの曲から、中国、アメリカ、EU、日本、かなり曲のレパートリーは豊富です。そんなわけで、2人はいろいろ英語の曲で僕の最後の日を盛り上げる感動の曲の攻撃をしかけてきます、なんか「これでお別れなんて思わないで」とか「また会う日がくるまでしばしさよなら」的な攻撃です、だから僕も負けじと適当にインドネシアの曲を歌って爆笑を勝ち取ってやりましたよ。カラオケはエンターテイメントですからね、負けちゃいられませんよ。
そんなことをしているうちに、時間は7時に、って最後になにやってんだ?って思ったけど2人の愛情を受け取るのも仕事です!



で、思い出したんだけどSangKaKaLaのライブが今日7時からあったんです、、ウオー最後に見逃した。。ってまた会うでしょ、って気分もあったんですがかなり残念です。
しょうがない、で帰るとKUNCIのメンバーとディナーに行くことになりました。場所は勿論、TOJOYOです!知らないっけ?ここは僕のお気に入りのアヤンゴレンをばしっと出してくれるレストランで今回の滞在、かなり行ったんだ。

それで、みんなで最後の夕食をとります。それでその席で、ノニンさんに「このジョグジャカルタをどう思いますか?」って聞いてみました。彼女は「最初はこの町は特殊だと思ってたけど、こういうネットワークの作られ方は別にインドネシアの中ではそれほど変わったものではないし、アートのモチベーションにしても小さな町で起こりえる可能性がこの町でも起こっているだけ。易しい答えでいえば、成るように成ったことをやっている
町なんじゃない」みたいなことを言ってくれました。
町の歴史や風俗を辿れば何かしらここの特徴にはあたりますが、それがすべてではないし、そしてだからと言ってまったく普通のことが起きているわけでもありません。
それぞれに話しを聞いてみても、ジョグジャカルタの構造は明らかにはなりません。
だからこその、体験ですし、だからこその個人的な考えなんだと思います。


さてそのあと、1つの儀式を済ませました。当初から世話になっていたチェパス。彼に最高に好きになってもらうため、ここにきてチキンを骨ではなく、肉付きでプレゼントすることにしました。それでKUNCIに帰って、「ほーら、ぼうや。誰が君のマスターだえ?」って肉をちらつかせて、愛情をかき立てます。そして彼も「くーん」って悩ましい声で僕に応えます。そして「さぁ、プレゼントの時間だ!お食べ!」って感じで、彼に肉付きチキンを差し出します。ばんばん食うチェパス、そしてKUNCIのみんながそれをばしゃばしゃ撮影、彼はここの本当のスターです。




そしてその儀式が終わって、次なる儀式は、、そうです僕のさよならパーティーです!
なんと今日はエコさんが皿(レコードですよ)を回してくれるとのこと!こんな僕ちんにビッグスターがイベントをプレゼントしてくれるとのことで、会場に。
そしてその後、着いて、もう意識がぶっ飛ぶくらいに酒をかっくらい、そしてエコさんの音にばしばし踊ってやりました。「日本人の踊りはグレートだね」ってオーストラリア人に言われても関係なく、狂ってやりました。そしてみんな会ったことのある人が来てくれます。あのおかまちゃんのアチェやギンタニがプレゼントをくれました。SangKaKaLaのTシャツです。もう泣きそう。Dinaさん踊りまくり。それで最後にゃWoWok兄さんがボンジョビの「Never Say Good Bye」をかけて、なぜかみんな僕を見てそれを大合唱。つまり泣けってことです、僕はね正直泣きたかった、ほんとにいろいろあったんだ、この滞在。孤独も楽しい時もそしていろんな刺激も、色んなことが僕の目の前を過ぎて行った。それが走馬灯のように流れた、そしてみんなの大合唱、、そう、だからこそ、そしてジョグジャカルタだからこそ、堂々と中指を立てて「ふざけんな!ありがとう、ジョグジャカルタ!」って言いました。みんな笑ってくれました、ほんとは泣いて欲しかったんだろうな、だけど、泣いたらお終いなんだ。みんな納得しちゃう。だから、僕は人を笑わせることにしたんです。






そしてみんなと抱き合って別れました。(変な意味ではなくて)


そしてKUNCIに流れて、そこに集まった人もぽつぽつと帰っていき、僕とWoWok兄さんだけになりました。そして2人で朝まで飲み明かしました。
日本のことや、アートのこと、歴史のこと、最後まで2人で尽きない話しをし続けました。僕はぐでんぐでんでしたが、とってもおおらかな時間を過ごしました。




ではでは地球の皆さん、おやすみなさい。



2012年12月15日土曜日

Time past soon, and I don't wanna leave


はい皆さん、お元気ですか?


はぁ、もうこれであと残すところ3日となりました、早いですね。
なんだかんだで、ここで起きたことはまだぜんぜんまとまりません。当然か。
いろいろな人に出会うことは、とってもいいことだってよく言いますよね。僕もそう思いますし、同じ時間を過ごして、それでなんかお互いに共有しあう。この1ヶ月半はそれの連続で、誰とどこで、何を話したのか、本当にいろいろありすぎて、このブログをあと見返すことがあって、それで思い出していくことなんでしょう。
ってまじで染みったれてるよね、そうなんです、そうなんです。まぁでも未来はまだこれから如何様にも変わっていく、つまりねまーた会えるってことなんですよ。

今日はそんな思いに耽ってました。あと昨日あったプレゼンのことを思い出して、なんかできなかったことが結構あったなって反省もしています。

で今日はフィナーレらしくTシャツエキスポに行って来ました。
なんか軽い感じで聞いていたので、よく分からなかったんですが、行ってみてびっくり!
何が?ってめっちゃ人がいるんですけど、そして何かまじででっかいイベントくさい感がもはや会場近くから漂っている。やばめです。ダフ屋もチケット売り場のすぐそこでチケット売ってる!なぜ?、そんなこと関係ないってくらい、めちゃくちゃ人がいました。


そんなわけで会場に入ると、ジョグジャのブランドが店を広げています。かなりストリートカルチャーなイベントです(もう、ストリートって言葉、おっさんくさくてすいませんって気持ちですが)。はい、それでWoWok兄さんと見て回ってると、がんがん兄さんにいかちい輩(見た目が怖いという意味です)が「WoWokさん!」っつって、近寄ってきます。まじでこの人それだけネットワークあるんだって感じの大御所感を僕に見せつけてくれます。それで歩いてたら、ファリにも会いました。彼も彼のブランドをもっていて、それで「おい、ケンジイデ!」って大声で声をかけてくれます。まじで半端ない!そして彼のブランドも調査。
やっぱ、ここジョグジャはTシャツを作るってのがアーティストの基本条件に入るくらいみんな作ってる感じがしました。




そしてバックヤードに、ん?そしたら、もっとでっかい会場が広がってて、ライブやってます!これで10000ルピアだよ、どうなってんだこの町!って思う暇もなく、ライブになだれこみます。そしたら、WoWok兄さんやっぱりやってくれます、「バックステージに行くか?」って、颯爽とステージ裏に、この人はもう完全にジョグジャの重鎮であります。僕はすたこらついて行って、初めてステージ裏ってやつに潜入しました。

でもやっぱライブは前からでしょ!ってわけで正面に戻ってはじけ飛びました。
なんかみんな泥まみれで踊り狂ってる、もう僕もこれで最後だって思って踊り狂いました。僕のコンバースはもうぐっちゃぐちゃであります。泥だらけ、汗だくだく、なんか楽しい。ってなんでライブ情報なんだ?って思うよね。ただ、ほんと色んなことあるなって思いました。





あー、なんか色々忙しくなって、ちょっと文章が短くなってます。なんか姉さん大変です。そしてもうあと少ししか僕の時間はない。インドネシア!ジョグジャ!うおー!



ではでは地球の皆さん、おやすみなさい。



2012年12月14日金曜日

Final Presentation


はい皆さん、お元気ですか?


はいそうです、今日はですね。ここKUNCIでの最後のプレゼンテーションになります。
昨晩からことことやっていていました。そんなわけで、あんまり寝てません。
マリナーズで活躍されたかの有名なイチローさんは「寝てないで1つの答えをだしたというときほど、信用できるものはない」とおっしゃってましたが、さてかくして僕はあんまり寝てないだけで答えをだしているわけではないのでオッケ!
って大丈夫か?って思わないでください。今回のプレゼンテーションは答えを出さないで、レポートをしてそれを受け止めてもらうというところに要点を置きましたので、あとは僕と聴いている人との折り合いなんですね。えっ?なんかごちゃごちゃ言うなって?
そうだよね、黙って男はやれって、なんで男ばっかそんなことを言われんだっつうの。

さて4時スタートってことで、それまでに一通り準備を済まします。そして人は来てるかな?ってあんまり来ていない!でもドント ウォーリー、ここはジョグジャ基本30分ずれが常識です。だから徐々に来るんだから、って結局1時間押しで始めることにしました。
そしたら徐々に人が来てくれる、なんか親切そうな人たち。



そして始まりました。
始めは自分の作品を少し紹介して、そのあとからこっちで見て来たアーティストや個人的に作っていた「Miss'M」の話しを、僕の体験談として語っていきます。誰の作品を見て、そのあと1人で悩んで、それでMiss'Mを探しつつ、この町がもつ独特のモチベーションが何なのか?それはどうしてなのか?ということを語りつつ、それが町の形からきているのではないか?くるっとサークル状に固まった町の形が、1つの文化を醸造してさらにどんどんムーブメントに至るまで作り上げて行く。この町はムーブメント工場だ、みたいなことを言いました。ただ結論、どういったことその町に思ったか、感想などは言いませんでした。そうすることで、結論を聴いている人と作り上げていきたかったからです。
それで、一通り、プレゼンテーションが終わって、ぽつぽつと質問があり、僕が出会った若いアーティストたちの状況をどう思うか、とかの話しになったりしました。




そして、プレゼン終了。
なんか終わって、どっと疲れが出てきちゃって、ぼうっとしてました。
何人かの人に面白かったです、って言われたりして、実際、今回は結論がでないことだったんで、どうだっただろうって、ずっと考えてました。そしたら、オーストラリア人のマルコムさんに「とてもKUNCIらしいプレゼンテーションだったね、面白いコンテンツに結論がない、On going の状態、楽しませてもらったよ」と言われ、妙に納得しました。


何でしょう、もうこれで終わりなんです、とりあえず今回の滞在の予定は。
ちょっとそんなわけで、今日は疲れてます。とっても。
だからまた、天使が迎えにきてくれるのを待つことにします。

ではでは地球の皆さん、おやすみなさい。

2012年12月13日木曜日

駆け込むように、1日が過ぎて行く


はい皆さん、お元気ですか?

さて今日は朝から大忙しです。何が?ってもうここまで来たら、色んなことが起こりすぎて分けわかめ、なんですが。今日はいきなり起こされて、ご飯を食べるか、食べないかって言われて、よく分からないまま、食べるって言ったら外に出て、なんか玄関の前のイスに食事が広がってて、何やねん!てことで聞いたら、通りがかりのデリバリー屋台の人に頼んで、作ってもらったとのこと。そんで眠気まなこでそれを腹にかき込みやした。




それでそのまま、Raden Salehっていう近代インドネシア絵画の巨匠のコレクションが見れるとのことで、KRATON Yogyakartaに。なんか王宮だったんですかね、入り口で帽子を取るように言われて、入りました。それでドイツの研究家の人が彼の絵画について説明しているのを聞いてました。照明がないせいか、なかなか絵が見えにくいんですけど、西洋絵画のテクニックでインドネシアのその当時の王宮の人が描かれている絵画は、そういうコンビネーションの意味でインドネシアの絵画史にとって重要なのは当然だし、どうやって絵画のテクニックが伝わっていったかという流れを見る上でもとても面白いなと思います。ってめちゃくちゃ普通のことしか言えない、ごめん。なんか明日のプレゼンのこと考えていて集中できていなかったかも。






それで大雨になりました。本当にいきなりすごい勢いで降ってくるんだよね、こっちの雨。気分屋すぎて呆れるくらい、それで放っておくともう洪水みたいになってる!みんな一カ所に集まって雨宿り。なんかこういう時間も面白かったな、ってあとで思い出すんだろうな。こっちは時間の流れがゆっくりだったなって、、ってもう懐かしみが始まってる!!





で結局、雨がやまないんで雨の中、移動です。裸足になる人や、もう関係ないやってずぶ濡れの人、どうしても濡れたくないって誰かの傘にすがりつく人。こういう色々な姿みるだけでも本当に面白いなって思う。


それでKUNCIに帰ってきて、Taring Padi のBudi(ブディ)さんの家に訪問する運びに、それでアチョンのバイクに乗って、いざ向かいます。彼の家は以前に紹介した、いま多くのアーティストが移り住み始めたというかなりリラックスなエリア。
それで彼の家のまわりにも、もうほとんどアーティスト村と言えるくらい、彼の友達や先輩が住んでいます。なんで彼の家に来たかというと、自分で家を作っているとのことで、デザインからいろいろなことをやってるとあって、気になって来ました。


着くとめちゃくちゃ、リラクシンなスペースが広がってました。川沿いでその川に沿ってウッドデッキがあって、そこにお手製のテーブルやイスが並びます。家の目の前の庭はいま作り途中だって言ってたけど、自作の彫刻が並ぶミニ彫刻の森があります。そしてスタジオ、それに今後ゲストハウスも作る予定だそうです。こういうの夢の1つなんだよね。自分のデザインで作ってく家。土地も彼のものなんで、なんでも出来ちゃう、そんなことをかなり心地のいいデッキで話してました。




それで近くにいけいけの画家が住んでいるとのことで彼の家に訪問、Imam(イマム)さんです。彼の絵画を彼はシュールレアリスムの思想のもとに描いていると説明してくれました。ダリがかなり好きなのか、ダリの絵画をかなり引用しています。そして最近の自信作である、Raden Salehを描いた作品。描く前の制作ノートも見せてくれて、Raden Salehのアイデア、歴史が詰め込まれて吐き出されている図になっているそうです。キャンバスの形も骸骨の形から引用されています。ちょっと辛辣な言い方になるかもしれないけど、個人的には、ダリがものすごく好きな人がインドネシアの絵画史を語る、っていう不可思議な関係が面白いなと思いました。





そして一緒に住んでいる、Rio(リオ)さんの作品も見せてもらうことに。
なんか薄暗い部屋なんですけど、彫刻やドローイングが並びます。暗い部屋に呼応するかのように、ドローイングがかなりイルです、って分かりにくいか、かなりいい感じに暗いです。諸星大二郎を感じさせるタッチもおそらく、自分で辿り着いた方法なんでしょう。話しをしても、ぼそぼそっとしか喋らないし、僕は個人的に好きなタイプのドローイングでした。彫刻もかなりいけてます。むかし台湾で見つけた、杜文喜って人の彫刻に似てるかって思いました。杜文喜は台湾原住民の流れを汲む作家で、作る作品もいわゆる原住民的な部分(なんか裸の原住民の木彫りとか)を踏襲してますが、そこに独特な感性と工夫が入ってたりして、面白いんですよ。彼の作品もそんな独自の精神構造から編み出されたものたちに見えて面白かったです。




そしてそのあと、Taring PadiのオリジナルメンバーであるDodi(ドディ)さんの自宅へも。
これから展覧会があるとのことで、忙しそうなところ、作品を少し見せてもらいました。
Taring Padiのオリジナルメンバーということもあって、労働者や職人たちをスクラッチ技法で描いています。スクラッチ技法ってのは、黒の絵の具で下地を作ってそれを削って形を掘り出して行く描き方です。削っていくからか、木版画に近い筆致が生まれています。
木版画もやっているとのことで、やはりそういった流れがあるのかもしれません。




さて大忙し、それでそこから、SangKring Art Spaceで行われているYoYok(ヨーヨ)ことSuryaWiryawanさん展示を見に来ました。ヨーヨさんもTring Padiのオリジナルメンバーとのことでした。ただ彼の作品は水彩画なんですが、とても優れたテクニックと独特な色使いで、そして内容は人聞きで分かったものですが、社会風刺や風俗画ということです。
でも僕はここにきて、率直にいい作品だなって思えるものに出会えた気分です。緻密なタッチで描かれたどこかコミックテイストの絵は、インドネシアの風俗と社会情勢を盛り込んで、サイズの小ささも手伝って、とても集中力があります。この風土で見るから尚更、とてもリアリティに富んでいるなと感じるし、そういう作品が僕は好きです。
詳しくはカタログをいただいたんで、帰った時に興味がある人は手をあげてください。




それで帰ってきました。
でもって、まだ寝れません。明日は僕の最後のプレゼンです。
これからことこと準備していきます。あー、どうにか面白いものになればいんだけど!
そんなわけで、今日はめっちゃ眠い、もう寝たい!正直。だけどこれからパソコンとやり合いますんで、静かにグッバイ!


ではでは地球の皆さん、おやすみなさい。