2012年12月8日土曜日

今日は観光客気分、でもリサーチです

もういいや、こんなのどうでもいい
ぽいっ。


はい皆さん、お元気ですか?


というか、大変なことが起きました!ってほどじゃないんですけど。
KUNCIの水道が壊れてしまった、つまり水道水が使えない、そしてつまりトイレが流せない、ちなみにこっちのトイレには水を溜めている桶があって、そこから水をバケツで汲んでそれでじゃーって流すんですが、ま、そんなこと関係なく、つまりトイレが流せないってことなんです。そして食器も洗えない、そしてシャワーも使えない!ってことは、、つまり汚いってことですね。はい。ここに住んでいるのは僕とWoWok兄さん、あとディレクターのノニンさん、だから今はみんな散り散りに疎開しています。ノニンさんはDinaさん宅に、WoWok兄さんは何故か飲み屋に(さすが)、ただ僕は独りここを守っています。だって、チェパスがいるからね。まーそれでも、そんな大した事じゃないんです。
ごめんなさい、騒ぎ立てて。

さて、そんな騒ぎの中、インターネットも使えないってことになりましたし、なんかめちゃくちゃです。そんなわけで、僕はぶらり散歩に出ました、そしてここいらへんに何があったのか、今一度ようやく見始めました。なんかマーケットがあったり、ちょっと歩くと雑貨屋があったり、そしてすぐに日本人の僕は変なおっさんに「ここの近くに学生の作品を置いてある素晴らしい展示があるから見に行こうよ」というこれはつまり何か土産物屋に連れて行かれる常套句なんですが、がんがん声かけられて、それで僕は展示となるとなんか見に行かなきゃって気分になっちまうもんだから、嘘と分かってもそのおっさんと「どんなスタイルなの?」とか普通に話してしまう愚かもんです。
でもこれが普通にジョグジャカルタに遊びに来た場合に見る風景なんだなとここに来て、改めて認識しました。だからこれまでのことはとっても特別だったんですな。当たり前か、だってレジデンスプログラムで来てるんだから。







そしてKedai Kebun で食事をして、



そのあとで、今日はDinaさんに手伝ってもらって撮影にでかけました。そしてこの町をぐるっとバイクで一周くらいしてもらいました。ずっとこの町をバイクで移動していたんです、気分が明るいときも暗いときもバイクにのってこの町を走れば、気持ちがとても落ち着くんです、どこかに向かっている確実に自分は進んでいる、そんな気分がいつもやってきて、そんなことを感じながら、バイクから町を撮影していました。


そしてなんかイスラムの新年ってことで、広場にでっかい遊園地が出来上がっていたので、そこにリサーチしに行きました(あくまで遊びではないです)。


ほとんどのアトラクションが手動、なんかぐるぐる回る回転イスみたいのにいたっては、何人かの男が回しながらアクロバティックに回っているアトラクションを使って宙返りや、一回転ひねりをぶっかまします。ほんとこっちのすることは想像を越えちまってます。そんなわけで、あとなんかお化け屋敷の調査にも出かけました。僕は初めて作った作品がお化け屋敷っていうくらい、お化け屋敷は必ずチェックしないといけないのです。
そしたら、このお化け屋敷は1、2を争う、壮絶なお化け屋敷でした。
なんか、おっさに連れられて、「はい右」っておっさんが指差すと、檻に入ったお化けが
「ぐあおー」って叫ぶんです。そして「ハイ左」ってな具合にまた違うお化けが「ぐあおー」しかも単発で終わっちまう、それで三段落ちごとく三人目のお化けには檻がない、だけど外に出てこない、疲れちゃったの?ていうくらい最後のお化けは消極的に「くあおー」ですって、それでおしまい。まじでこんなの初めて、ひどい!ひどすぎる故にインパクトありすぎました。




そんなわけで、ちょっとした郊外調査の日でした。
まだ行ってないところばっか、なんですよね、ほんと。


ではでは地球の皆さん、おやすみなさい。



2012年12月7日金曜日

Reality will bite you

「オオカミが来たぞー!」
村人は一斉に逃げます、「やべー」って
それを見て、最初に叫んだ子が笑い転げます。
その子は図に乗って、何回かそれを繰り返しました。
その都度、村人は「ぎゃー」って逃げ惑う。
それがおかしくてしょうがない。
ほんとバカだな、って笑い転げる。「オオカミなんていやしないんだ」
そして本当にオオカミがやってきました。
その子はぱっくり、上半身から下半身に向かってぐちゃぐちゃと弄ばれるように
オオカミに食いつかれます。
それを見て村人は笑います。笑い転げて、その子の苦しむ姿を指を指して。
「Reality Bite」、弄ぶなら覚悟しておけ。


はい皆さん、お元気ですか?


何かが変わる瞬間、それを時に人は奇跡って呼びます。そんな瞬間を目の当たりにするために実のところ、みんな試行錯誤。こうすれば奇跡が見れるかも、あそこに行けば奇跡に出会えるかも、あの人に会えば奇跡をくれるかも。そんな誘惑がこの世界に渦巻いていて、どんな現実的な人でさえどこかで期待している。諦めたふりして腹の底で、じめじめ思いを馳せている。そうなの?って、何の話し?って思いますよね。僕は奇跡を信じてません、前に言ったけど運命ってやつも、何もかも自分で決めることだ、って何か頑固に、思ってるんです。確かに偶然はあるんです、たまたま何かがうまくいくときや、何か突然思いついたりすることはあります。でも、それ以上にめちゃくちゃ色んな決断している。
そうだから、ここにきて感じたすべては、僕が選んできた道の道程なんだと思っているんです。だからとても愛おしい。選んだものだから、とても愛おしいんです。
ってなんだこれ?って、思った?ごめん、なんかそんな気分なんだわ。許して。



今日はここにきて、このジョグジャの歴史を聞くべくしてMr' Agungに話しを聞きに行くことにしました。彼は言うまでもなく、Kedai Kebunのオーナーにして、ここジョグジャを代表するアーティストであって、僕がここに来る途中の飛行機の機内誌で見た有名人であります。ただここまでいろいろ場面でお目にかかっていて、ってそんな丁重な説明を嫌がるだろうとても気さくな方です。そして若いアーティストに支援をする、ジョグジャのお父さん的な人です。がゆえに、いろいろなシーンを見てきているとのことで、その話しを伺おうということです。


僕がまず聞いたのは、ここ最近の若いアーティストのことです。当初から僕も言ってますが、とてもストリートアートに傾倒している、しかもロス的な感じ。彼はそれをJUXTAPOZの影響と言います。僕も詳しくなくてすいませんが、ストリートマガジンであるJUXTAPOZをみんな呼んでいて、それの真似なりそれにかなり傾倒しているとのことで総称してJUXTAPOZイズムって彼は言います。それゆえに、表面的なビジュアルだけなぞって、それに留まっている。そしてそういったものをマーケットも買っている。その甘い蜜に群がっているのだということです。ただ一方で、このジョグジャに溢れるストリートにあるグラフィティはまったく違うとのことです、いわゆる本当の意味でのストリートアーティストはギャラリーに所属せずに或いはアートに帰属しないで本来のグラフィティをやっている。だからもっと刺激的だし、アーティスティックでもあります。この2つはぜんぜん違うところから出てきているため、クオリティも違います。
どちらかと言えば、若いアーティストたちの方がとても脆弱なものになっているとの視点です。
基本的にここジョグジャは重複しますがマーケットがアートムーブメントの鍵を握っています。だからマーケット、コマーシャルギャラリーに乗って作品を売ることが当然の成り行きなんですが、Agungさん(アグーンさん)の若い時代も当然、そういった状況は一緒でした、だけどコマーシャルに従属すると平行して、政治的なストレスも大変あった時代なので、もしコマーシャルでうけなくても、政治的なカウンターとして制作をすることができたと言います。つまり、様々なモチベーションで作品を作ることができたということです。それが、今ではそういったストレスがなくなり、アーティストは自由にコマーシャルにのっかることを考えるだけになり、こういった脆弱な状態になっていると言います。

ただこれはエコさん(Eko Nugroho)も言ってたことですが、未来は分からない、この世代がまた変化して何かを生み出すかもしれないし、またこの世代をうけた下の世代が何かを生み出すかもしれない。とのことです。
あと「ここジョグジャに美術館は必要ですか?」って聞いたら「いらないんじゃない」って言われました、マーケットの波がとてもシリアスだし、それをどう捉えるかによって時にアーティストは現実を目の当たりにするから、それでいいんじゃないかって言ってました。「Reality will bite」ってわけです。それにシンガポールの美術館がインドネシアのアートをコレクトしているから、俺らの美術館はシンガポールにあるんだよって、ケラケラ笑って言います。

まだまだ、いろいろ話しを聞いてたんですけど、アグーンさんがんがん喋ってくれるんですよ、それで頭がぐるぐる、まとまりゃしないっての、だって僕、バカなんですもの。ただこんな若造に本当に親切だなと思います、そもそも彼の世代はいろいろな選択肢があった、政治的なアート、コマーシャルアート、オルタナアート、その中で彼が選んだのはオルタナアート、自分でスペースを立ち上げ、それで発表していく。そんな人だから、尚更アートの酸いも甘いも知って、意識的に若い人に働きかけているのだなと思いました。

また君の頭がまとまったら話しにおいで、って言われました。




そんなわけで、1ヶ月の短期でどこまで辿り着けるか分かりませんが、とても貴重な話しを聞けました。




そのあとは、タリパディっていうアーティストコミュニティがあるんですが、彼らがなんか教育に関するイベントに参加しているとのことで、やべぇ空気を感じ取っていってみました。そしたら、なんか閑静な住宅街で、和気あいあいとやってる地元色たっぷりのイベントでした。なんか自由学校なるもの?が開校するための記念式典で、お金がなくても行ける学校とのことです。で、なんかここにきてようやく影絵劇が見れることとなりました。だけど、伝統的なやつじゃなくて、現代風にアレンジされたやつ。
それで劇が始まったら、みんな爆笑、げらげら笑ってんの。ただ小ちゃい紙のおじさんがちょっとぺちゃくちゃ喋って動くだけで、どっかんどっかん!言葉の分からない僕や一緒にきたオーストラリアの人はポカーン。でも何かすっごいみんな笑うから、もうしょうがねーや、って気分で僕も笑ってやりました。若干、苦笑気味にね!



そんなわけで、今日はここまで。
ただここジョグジャの空気は本当に様々で、ちょっと夜バイクで田舎道を走っていると、本当にここが愛おしく感じれます。あんな静かで嫌みのない夜はそんなにないと思う。
暗い?知ったこっちゃねー、僕は夜が好きなんです。




ではでは地球の皆さん、おやすみなさい。



2012年12月6日木曜日

One day, Rain , Be simple









はい皆さん、お元気ですか?


今日はこっちの雨期シーズンをもろかぶり、雨模様ジョグジャカルタ、そんな日はですよ
ちょっとおセンチな気分な女の子の気持ちが分かっちゃうっての!ってわけじゃないんですが、まーたいろいろ考えちゃいそう、そうです、そうです。でもそれでいいのですって、よく分からないこと言ってますよね、どうもすみません。
ここに来て始まったこのブログですが、ほんと毎日色んなことがあって、書くことにこと欠かねーやって思ってここまできました。
さてどうですか?このブログは?僕なりにインドネシアの体験を綴っているつもりですが、ちょっと物足りないかな?或いはなんか説明が下手かな?えっ?なんでこんなこと言い出したか?それは、誰に喋ってるか予想もつかずに書きなぐってるんで、なんか誰が見てんだろって思ったからなんですね。
インドネシアの友達がお前のブログ見てるよってときどき言われるんですよ、なんかGoogle Translateで解読してるとのことです。恐ろしい。いいことも悪いこともまして恥ずかしいことだらけのこのブログって形式に慣れることなくここまで来てます。それなりにどうやって書いていくか、そんな必要かも分からない知恵もついてきました。
ただ一番の問題はやっぱ誰に伝えているのかってことなんですね。僕の場合。
それによって僕は写真を撮ったり、話しを聞いたりしている、別にこれのためだけではないんだけど、何か自分の中でこれを見ている人を想定している。その人たちに向かって、どっかでインドネシアのことを伝えつつ、自分のことを喋ってます。

ここで触れた多くのことは知らない人には勿論、知っている人にも違う形で伝わってほしい、だから自分のことを喋ることにしています。自分を通して見えた景色、それはどっかで何か面白いかもしれない、そう思って書いています。ま、そんなことは当たり前だよね。
そう、なんでこんなこと書いてるかっていうと、今日は雨だから、雨の日はあんまり行動しない、それがここの基本なんですな。だから、今日は、、ふふ、みなまで言わすなっての。そうさ、雨がやむまでKUNCIで制作しつつ、みんなとお喋りさ。
こんな話しばっかでほんとにごめんなさいね。
人生ってさ、驚きと退屈の繰り返しじゃんね、だからこんな日はそっとしているのがいいと思うんです。言い訳ですかね?


でも実はちょっとは外に出てますよ、ある人に会いにね。
その人のこれまでのことを聞きにいきました。名前はふせておくね、その人は12歳からある家に連れられてそこで働くことになり、17歳で1つの技術をえて、それをもうかれこれ、40年近く続けて生きている。その技術でいろんな人に会って、それで友達もできた。
なんか抽象的だよね、すごい分かりにくくてすいません。ただその人に「シンプルに生きろ」って言われたんです。なんかすごいしみじみしました。ほんとにそう思うんです。
その人はとても苦難があったにも関わらず、「シンプル」って言うんだ。
すいません、話しがぼけている上に、話し終えちゃって。


でもそんな日なんです。今日は、ぼやけて忘れてしまいそうな日、
そんな日に僕は「シンプルに生きろ」って言われてなんかしみじみしたんです。


ではでは地球の皆さん、おやすみなさい。


2012年12月5日水曜日

expression with life, we are creating everyday

間違って進んでいく、これは大丈夫?って思って
でもやっぱりいつまでも行きたいところに辿り着かない
だいぶ歩いたところで、あー間違ってたんだって気がつく
しばらく考える、ほんとちょっとの間
で、開き直る、これでよかったんだって
それでどんどんもともとの道からずれていく、
暗い道をがんがん進んでいく



はい皆さん、お元気ですか?


あー髪がぼうぼう伸びて、なんかほんと大変なことになってる!昔の中国の俳優みたいにくっきり8分わけができちゃう、そんで会う人会う人に、「髪切ったら?」って言われる、こっちで髪切ると100円くらい、でもめっちゃ不安、いつも僕は自分で髪切ってるんですよ、一番安上がりだし、自分で切るから文句もないでしょってことで、だけどほんとぼっさぼっさでね〜、でもあと10日間だし、我慢できないこともない、てか僕はいんだけどやたら「髪、大丈夫?」って心配されるから、、って帽子かぶっちゃえば関係ないのさ!そんなあたいは帽子が浮いちゃうくらい、ぼうぼう伸びた髪を今日もくっきり8分分けさ!ってほんとどうでもいいね、これ。

あ、今日もモスクからなんか音楽が聞こえてくる。
この音楽にも慣れたな〜、生活ってすごい勢いで習慣を作るんですよね。


今日は朝から映画見てきました、ガリニ・グロッホって人の映画で、いま映画祭がやっていてそして今日は朝から彼の映画が上映されるとのことで見てきました。
それで行ったら、入場料タダ、やっば!そして席につくと、なんかおじさんたちが前のステージで喋ってる、あとから聞いたら、そのおっさんが映画監督とのこと、めちゃくちゃ至近距離で話してる、すっごいフランクだな〜。


それで映画スタート、英語字幕なしってことで言葉は分からないんですが、2つのストーリーがあって、1つは政治活動に参加していく若い女の人のストーリー、もう1つはテロ活動に参加していく男の人のストーリー(間違ってたらごめん)、どちらもイスラム社会とインドネシアの国家っていう問題を抱えつつ、所得階層の問題も抱えつつ、物語が進んできます。言葉がなくてもわりあいここらへんは分かります。政治的なメッセージですが、自然光で撮影をする監督ということで、全編とてもきれいな映像に仕上がってます。ちょっと役者によっては演技過剰な気がしたんですが、「インドネシア」はドラマティックなものが好きなんだよって、WoWok兄さんは言います。



そんなんで、見終わってKUNCIに帰ってきて、いろいろやりとり。

それで夕方にSenyawaのボーカルの人が来て、ミュージッククリップとか見てて、それがめちゃくちゃジョグジャな感じで、何かネットで見れるって言われたけど詳しくはあとで聞いておきます。


そのあとアンダリクサさんと一緒に前々から誘われていた舞台を見に行くことに。
全然、事前情報なくて車の中で教えてくれて、なんか舞台自体はそんなに重要じゃない、何しろそのバックグラウンドが面白いんだって言うんです。内容は?って聞くと、
「基本的にインドネシアの舞台は2種類のヒンドゥーの神話をもとにしていて、ラーマーヤナとマハーバーラタがそれなんですが、それにアレンジを加えてそれぞれのテイストに仕上げている、特にコメディのパートがあってそこは自由に創作できる」とのことです
そんなわけで、どんなところなのかまったく分からないまま、暗い田舎道を進んでいくと着きました。なんかうらぶれた、スナックみたいに小さな照明が灯っている、ぼろっちい家屋があります。いかにもやばい見せ物小屋の匂いがぷんぷんする、そして入り口みたいなところがあって、そこで入り口のおばさんと軽く挨拶、アンダリクサさんは今、この人たちとプロジェクトを進めていて、それでもう仲がいい状態。それで、その入り口をすぎて、中へ。



イヤー、やばい。本当にやばい見世物小屋の空気が半端ない!かなり気合いが入ってる。
そしてそのステージの裏側に行きます。そこで今日の打ち合わせ、座長みたいな人が今日でる出演者を決めています。みんな頭にシナリオが入ってるから、細かい打ち合わせはないそうです。そしてさらにその奥にすすむと小さな小屋がまとまって本当に小さな村ができています。そこに子供とかが遊んでいる。






彼らは、いわゆる旅芸人でした。地方地方を回って、興行をする。1地方に1年から2年ほど小さなコミューンを作って住みます。住居と舞台がセットになったコミューンです。
毎週2回行われる興行、1回につき1人6000ルピア、1人の役者が得られる一週間の収入は12000ルピア、日本円にして120円です。勿論、それでは生きれません、だから舞台がない日は、街に出て働いています。それじゃ、どうして舞台をするの?ってほんと素朴に思いますよね。それでアンタリクサさんに聞いてみます。「もう彼らの生活の一部なんだよ、生き方そのものになってる」と彼は言います。そんな生活を彼らはもう何十年も続けています。少なくともこの形になってから13年、東ジャワからずっとこうやって旅をして舞台をし続けているとのことです。
そのコミューンはすごく簡易的なものです。寝る場所とちょっとした飾り物、普段の生活を見ていませんが、とても質素なものに見えました。


それで舞台が始まります。本当は9時からなのに40分押し。さすがの貫禄!お客さんも地元の人なのかばらばら入ってきます、とはいえ、かなり閑散としてますが。それで早めに練習なのか、音楽が鳴り始めます。舞台の前にある囲いの中でガムラン演奏です。
なんか笑いながら、普段着でおっさんたちが演奏、タバコを適当に吸って演奏、お互いをときどき見つつ、気楽にコンコン叩いています。そして、それが大きな音楽となって、賑やかな音になります。

僕は他の村でガムランを聞いたことがありますが、かなり音色が違いました、彼らのバックグラウンドを聞いたからか分かりません、でも彼らの音は生活の中から出てきたハレ的なもので、しかもずっとそうやって叩いていたからでしょか、とても親しみや憂いがあるんです。僕は適当にポンポコ叩いているおっさんの背中を見つつ、この演奏がうまいかどうか分かりませんが、なんか、マジで、感動して泣いちゃいました。

そして舞台が開いて、パフォーマンスが始まります。




僕は自分の作品の中でもそうですが、なんで人は表現するのか、物を作るのか、ということを考えています。そこに、何で?って質問をたてるのは馬鹿げたことかもしれませんが、人の生き方のことを考えるとき、このことを考えることがとても重要だと思うからです。今日見た、舞台をして回る人たちの生き方は、いや生き方ってより彼らの作った舞台がすごくよかったのは、何でなんだろう?って思うんです。感覚なので、まだうまく言葉にはできないんですけど。彼らの生き方と表現にとても感動しました。



ではでは地球の皆さん、おやすみなさい。


2012年12月4日火曜日

今日は未来を考える、だって旅のあとだから


あー、なんか、ふは〜!



はい皆さん、お元気ですか?


今日はね、昨日の旅のいろいろで、かなり体がぐったりになってました。
そんなわけで、KUNCIであと残りわずか2週間となった滞在をどうするか考えてました。
うーん、いろいろな人に会って、それぞれのアーティストの人生を聞いて回る。
作品を作るモチベーションや、どうやって生きていくか、特にこのローカルな場所で何を求めているのか、なんか文字にすると辛気臭くてどうもださいですけど、ほんとそういった話しはどこの世界でも自由に話せて、そしてだからお互いに理解するときにそういうところで繋がったりして、ここジョグジャではそういった意味で自分と同じような雰囲気をもった人が多いなって感じましたね。
ぼうっとすると、ここにいるのが不思議な気持ちになるんですよね、ちょっと前まではぜんぜん知らなかった人が今じゃ「へい、ファッキンガイ!」なり「井出サーン!」なり「ケンジ!」なり、僕に話しかけてくる。それぞれの人とに思い出があって、それぞれの個性を思い浮かべると、笑えることばかりで、どれくらい自分がここにいたのか忘れちゃう。あー、でもそんな悲しくないですよ、なんかほんと切なくもないんだ。
でも、なんかこの人たちがこのあとどうなっていくのかが気になるんですよね。
少しでもその人に興味もったがゆえに、あとその人たちが何かものを作っているだけに、
これからどんなものを作っていくのか、それにすごく興味があります。

こんな風に知り合って、今やフェイスブックとかで繋がっちゃって、彼らその後を追いかけることはほんと可能になったんだけど、やっぱときどき会って繋がっていたいと思うんです。まぁ、それができるかどうかは、僕や彼ら次第なんですけどね。


と、考えてたら、やばそういえば、2週間しかない!
あんまり習慣ないけど、お土産買ってこよう!なんか世話になった人たちがいるし。
でも本当に習慣がないから、実はどうでもいいとも思ってる。

で、Dinaさんとマリオボローに行きました。
何でも売ってる、あの観光客御用達のお店にゴーして、インして、さっと買いました。
コーヒーとかお茶とか、キーホルダーとか、全部で600円。
誰に渡すのかあんまり考えてないんで、もし日本に帰って、「お土産、俺のじゃなかったんだね」的な話しはなしにしてください。まじで、期待しないで!



はい、それで帰ってきて、MokiさんとエリアさんとWoWok兄さんなどと食事をして、
そこにSenyawaのギターの人も来て、彼らがつい最近までやっていたヨーロッパツアーの話しとかを聞きました。なんか自分たちを試したくて、やったとのことで、こういうところが音楽は羨ましいですよね。ツアーとか。


そんなわけで、一家団欒。我が家とかしたKUNCIをバックにまたまたー。



ではでは地球の皆さん、おやすみなさい。