2012年12月12日水曜日

神の世界と人間の世界のあいだ

始まりは些細のことで、ある日思いついたことだった
遠くに何かがあると思った、それだけだった
そして、この足で歩き始めたのだ
あれからずっと歩きつづけている


はい皆さん、お元気ですか?

今日は昨日言ってましたけど、朝3時からボロブドゥール寺院を目指します!
相方はいつものメンバーDina少佐、エリア、Mokiさん、そしてFarid(ファリ)であります。必ず一回は見とかなきゃって思ってたんだ、だからようやく見れるってわけで楽しみです。

そんなこんなで、3時、ファリさんきっかり到着、いつものように高笑いでKUNCIの庭に現れました。そして僕は彼に抱きつく(変な意味ではないよ)、「ファーリーい」ってな具合に。「どうした?けんじぃ、はははは」、まじファリはお父さんのような包容力で高笑いagain。そしてエリアさん、Mokiさん、Dinaさんも到着、ではでは最高にファンキーな車、マリーに乗って出発です。




行く途中、ボロブドゥール遊びがはやって、ファリさんの新しいスタジオに着くなり、「これがボロブドゥールかっ!なんてモダンなんだ!」みたいなことやってまして、「次のボロブドゥールはタバコも酒も売ってるんだぜ!」とか言ってコンビニに行ったりして「ファリ、文明はすごいな!」とか言って、ファリ高笑い。そんな道中、日本の曲をかけたりして、FISHMANSがうけてました。やっぱファリとどっか行くとこんな感じで、心底明るくなるんだよね。

で、道に迷いつつ、なんか変な山道を通って到着。朝5時くらい、まだ薄暗い大地。
目の前には簡易的にできた門があって、そこでお金を払います。門の奥に山道が続いている。で、なんか僕はどういうところにボロブドゥールがあんのか分からなかったんで、きっとこの山道を登っていくとあるんだきっと。と思って、がんがんビーサンで山を登って行くファリのあとに着いて行きます。そしてどうやら山のいただきみたいなところに到着、そこにはボロブドゥール的なのはなくて、すっかり下界を見渡せる高台がありました。そうです、ここから朝日を見るってことだったんです、ボロブドゥールが150円で見れるわけないじゃん、ってなことより、ほんと見晴らしがよくて、目の前に大地が広がっています。霧にかかった町と少しずつ雲間から見えてくる太陽、「遠くに見えるピラミッドみたいなのがボロブドゥールだよ、そしてその横に見えるのがムラピ山」Mokiさんが耳元で囁くように言ってきます。霧の間から小さく変な形の塔が見えます。「これで今日は帰るからな、ははは」ファリが高笑いします。そうこうしているうちに、オレンジ色の太陽が雲間から出てきます。




日本で、毎年、僕は正月には初日の出を見に行きます。実家が海の近くなので、朝方歩いて、海まで行って朝日を待ちます。ずっと繰り返している習慣です。日が昇って、海から顔を出すときに、1つの大きな循環がまた始まるように感じれるんです。それが唯一、僕の1年がこの世界と繋がっていると感じる瞬間なんです。
そんな日本で見る太陽とは少し違う色に見えたけど、この風景はずっと昔からあったんだろうなと思いました。


はい、そんなわけでまじで眠くなっちゃってきたぁ、山を下山しながら、僕の意識も夢の中にずるずる降りて行きます。


車の中ではグースカピー、ファリさんずっと運転で本当に申し訳ない。そしてしばらくすると起こされました。「ほい、着いたよ」
でっかい駐車場に降り立ち、チケットを買いに行きます。朝だってのにどうも修学旅行生みたいな人たちがわんさかいます。そしてエリアさんたちに今は喋らないで!って言われて、何やろ?って思って中に入ろうとすると、かわいいスタッフのお姉さんに睨まれて僕、止められます。また何やろ?って思って、「ID見せろ」みたいになって、何やねん!ってことになりました。で、エリアさんがいろいろ説明しても不可能。そして何か違う場所に通されて、それで分かりました。外人用のゲートがあるんでした。インドネシアの人と外人とはチケットの値段がぜんぜん違う、国内の人は30000ルピア、外人は195000ルピアくらいする。そんなんで、みんなが僕をインドネシア人にさせて入ろうとして止められたというわけです。なんかここの人はインドネシア人と違う国の人を完璧に見分けるそうです、マレーシアの人とかでもばれちゃうらしい。この多種民族国家でそれができるって、彼らはもしかするとインドネシア人が何であるのか分かるかもしれない。そんなこと考えながら、ようやくGo to inside。

ってめちゃくちゃ広い公園です、なんだろあの神殿的なものに行くのって本当に時間かかるけど、ここもめちゃくちゃ広かったですね。それで先ほどあがった太陽の下、歩いていいくと、見えました!ボロブドゥールです!


ファリさんがぶつぶつ呟くように「東から入ってそれで時計周りにあるく…」、そうです、この寺院には歩き方があります。ぐるぐると寺院の周りを回って徐々に上に上がって行く。これはこの寺院の壁面に掘られている石のレリーフに物語があるからです。物語にそって、歩いていいく、そして徐々にその物語が進んで行くに連れて、見えている景色も変わって行くということです。物語は涅槃、ニルバーナに至る道程を表しています。
そんなわけで詳しくは、ウィキペディアなどで調べてください。だってDinaさんがグーグルで調べながら教えてくれたことなんで、そっちのが早いっすよ。




ぐるぐる回りながらでも、なんかやっぱ昔の人もこうやって回って、それで物語を知っている人がそれを教えながら、いろいろ学んだんだろうなって想像で考えてました(間違ってたらすいません)。でっかい体験型テキストになってるんだなって思って変なもん作ったなて思いました。そして悟りのステージまで行くと、そこには筒型の構造物が並んでいます。もはや抽象的な世界を勝手に感じました。
「俺が神だったころ、これを読んで神になったんだよ」っていう遊びがはやって、ファリと「そうかおまえも神だったか、私もこれを読んでいたことを思い出したよ」ってやりあってました。なんかそういうのが面白かったな。



それで完全に上がりきった太陽に照らされ続けるのはきついんで、神の世界から下界に再び降りて行くことにしました。神の世界はちょっとまだ僕には暑かったです。



そんなわけで、ぐるっと回って帰ってきました。
それでKUNCIについてファリが何故か、一曲歌ってくれて(あいつはどっか行ったあとに歌わないと済まない性分なんじゃないか?)それで、ばいばいしました。ほんと親切で、優しい、ファリです。彼の恋の話しをまた聞く機会がくればいいな、と思ってます。

帰ってどろのように疲れた僕は、世間様にはすいませんが、爆睡させてもらいました。それで夜にちょっとラングーンに行って影絵を見てきて、帰ってきました。
なんか怒濤のごとく、この最後の一週間が過ぎて行きます。まじで思い出に処理されないくらい、色んなことありすぎて、ほんと頭がやばい。でもまだ神の世界には行きません、僕は人間ですから。


ではでは地球の皆さま、おやすみなさい。

2012年12月11日火曜日

こんにちはジョグジャカルタ、僕は日本から来ました


はい皆さん、お元気ですか?


朝になると頭が切り替わります、昨日までのことがまるで違うものに変わっています。よく考えてみれば、それほど何かが変わったわけではないのに、何だろ不思議です。
そしてまた1日を過ごして行くうちに、やっぱりそれほど変わってないんだと気がつくんですが、どうでしょう本当に何も変わってないのかな?
そんなことがここジョグジャでも起きています、毎朝(ほんとはそんな朝じゃないけど)モスクから聞こえる音に耳を傾けて、そしてちょっと部屋のドアを開けると、そこにはKUNCIのミーティングルームがあって、そして昨日誰かが飲んだまま放置したマグカップや誰かが読んだ本が机に広がっていて、ミーティングルームの奥のガーデンには南国の草木が見えます。ここ1ヶ月ちょっとで見慣れた景色になりましたが、毎朝、何かが少しちょっとずつ違うんです。それが何なのか分かりません。でも、それほど悪くないことなんだとは言えます。そんな日々がここではずっと続いていました。


今日はエリアさんの黄金町滞在についてのプレゼンテーションがありました。
多くの若いアーティストが来て、彼女の黄金町での体験を聞いて、そしてどんな町でどんなレジデンスだったのか質問します。そしてエリアさんの黄金町での作品がどういったことを表現しえているのか、そういう活発なディスカッションが行われていました。
かなりの若い人たち(もしかしたら全員)が日本に行くことにとても興味をもっているように感じました。口々に「日本に行きたいよ」ってよく言われますからね(たぶん社交辞令じゃないと思うけど)。






そしてそのあと、今週の金曜に予定している僕の2回目のプレゼンテーションについての打ち合わせをしました。
前回は僕の作品の概要、構造、それからここでの滞在の概要を喋りましたが、今回は違います。これまで滞在していろいろなアーティストと会ってきましたがその記録と感想、そしてそれに僕の個人的に作っている「Miss'M」を組み合わせて、ここジョグジャの若いアーティストの中に起きている物事に個人的な批評をのっけるってのが今回の目的です。
このブログを見れば分かるのですが、ストリートアートというのが1つのキイワードになります。そのことについて批判的でも肯定的でもなく、僕の個人的な発想で喋るという寸法です。それで打ち合わせで、それぞれのディレクターにそのストリートアート的な風潮に対しての意見を聞きました。かなり長い間、こういった風潮は続いていて、そしてそういった風潮に対しての批判的な批評もかなりでてきていて、ほとんどのアーティストたちもそういう風に言われていることをだいぶ自覚しているとのことです。だからね、つまり新参者の僕が「なんか君たちのアートって内容がなくて、つまんないね」って言ったところでその意見もまた下らない生産性のないものになるってことです。てか、そんな風に思っちゃいませんが。だからできるだけ、僕なりの個人的なアートへの見解や、てよりももはや生き様みたいなものを提示してそれと戦わせるってのがいいんじゃないかと思います。まぁ、前回もそんな感じのプレゼンだったんですけど、今度は彼らの日常とすり合わせて僕の生き様を提示するってことでいいんじゃないかって気がします、てかこれを書きながらなんか頭をまとめてますけど。
ってさっきから生き様って言っちゃって、それアートなの?って思った人がいたら僕の展示見に来てください。とりあえず、言葉じゃ分からないってこともあるんで。
でもまーたKUNCI礼賛になりますけど、ほんとにここのディレクターの人は僕の話しを聞いてくれる、彼らはオルタナティブな活動でここまできたので、そういった議論をすることを常としていて、とても話しやすいです。ほんとに家族なんじゃないのって思う。


そんなわけでこれまでのここでのリサーチをまとめていく機会にもなりそうで、いろいろと素材を編集していきます。

にしても、なんか僕の考えは固いんですよね、ここジョグジャで話していると、ほんとに頭で考えすぎじゃね?って思うんです。詭弁に聞こえるかもしれないけど、アートってほんとに何でもありなところがあると思うんです、だからバカみたいに自分の経験にばっかにとらわれていると、ほんとに目の前で動いている物事を見失っちゃう気がします。
まぁ、よくある話しですよね。


ここの滞在も残りわずか、本当にいろいろあったんです。まとまるわきゃない!でも1つの意見として彼らにぶつけられるチャンスです。だから編集に入ります。


とはいえ、明日の朝から前に一緒に結婚式に行ったFarid(ファリ)と一緒にボロブドゥール寺院に行ってきます、一発ここの朝日をそこから拝んで、気合いを入れようと思います、それで彼は朝3時に迎えにきてくれます、勿論マリーって車でね。あの人、まじで深夜に動くの好きなんだから!って今回は必然か。


ではでは地球の皆さん、おやすみなさい。


2012年12月10日月曜日

Feel warm,and Feel future

Everything will be golden experience depend on you.


はい皆さん、お元気ですか?
本日も平常運転でよろしくお願いします。

今日は月曜日、この滞在の最後の1週間が始まりましたよ。
ある本の中に書いてありましたが、昔、昔、なんかGodというのが1週間でこの世界を作ったそうです。1週間というのはそのくらい何でもできるんですよね、そして僕のインドネシア滞在の最後の1週間、さて何を作れるでしょうか?って未来は自分で作るもんなんだよ!だから能動的になんなきゃ。
そんなわけで、今日はご飯を食べたあとで、行動開始であります。



どこに行く?ってなんかね、Dinaさんに前々から頼んでいたバティックの店に連れていってもらいました。そしてその道中にちょっとICANに寄ったら、なんか映画を上映してました。何やらかなり面白そうなドキュメンタリーフィルム、あとから聞いたらスラバヤでの虐殺(間違ってたらすいません)に関わった人の話しだったようで、かなりハーコーな内容だったようです、そしてしかもこれを上映することは違法らしく、これがばれるとICANのディレクターでもあるアンダリクサさんがムショ行きとのことで、かなりワクワクな上映会でした。このブログにインドネシア警察の人がいないことを願いつつ、しっかりここに書き記しておきます。



そしてそのバティックショップに、ってお店というより問屋さんだった。行く道も普通に狭い住宅地の道路をかき分けて、そして民家の中に山ほどバティックが積み重なっている。バティック好きには溜まらないことでしょう、そして山の中からいろいろ引っ張りだしてみます。なんか本当にいろんな柄と配色がるんだよね、そして腰巻き(サルー)からシャツまでいろいろあります。もう見ているうちに疲れちゃって、みんなで遊んでみたりして、で、結局何枚か買ってみました。しめて、、秘密ね、てか結構買っちゃたんだ、ほんとは、でも1枚あたり400円くらい、普通にお店で買うと1000円くらいらしいよ、だからお得でしょ?




それでそのあと、以前からずっと会おうと思っていたタリンパディンのアジトに行くことになりました。約束は6時だけど、ここはジョグジャ、もっと時間にルーズに行こうやってことで30分づれでアチョンと一緒にバイクで向かいます、

途中Bayuがスタジオ借りてる以前にも行ったSurviveへ寄りました。着くなり、雨がザパーってすっごい降ってきた、暴風雨です。そんなわけでBayuやアチョンにタリンパディンの歴史をカタログを見ながら紹介してもらいました。1998年頃、美術大学の学生が構内にある使われていない校舎を占拠したことからその歴史は始まります。その当時は政治的に緊張状態であったから、彼らは占拠しながら政治的なメッセージを作品にしていきます。そしてそこに色々な人が集まってきた、以前アチョンのことを紹介したときにもちょっと説明しましたが、他の大学の連中や学生じゃない人たち、そんな人たちが集まってプロパガンダの手法でいろいろなポスターを作り、ライブを行いました。Bayuやアチョンは2000年ごろ彼らのメンバーになったようです。なんか初め彼らが占拠しているアジトに行ったとき、まじ怖かったそうです。だってタトゥーとかファッションがいかちいからな、ってそれこそ今やめっちゃいかちくなったBayuが言います。そんなわけで、彼らはメンバーを交代させつつ、そして現在までその啓発活動を主軸に組織を作っているようです。なんか政治団体やそれこそなんかやばい組織のような聞こえ方しましたが、確実にアートのためのオルタナティブ組織です。
ってそんな話しをしつつ、雨がやんだんで、さっそく彼らのアジト、もといスタジオに。





そして、なんか妖しげな密林の間の狭い道を抜けていって到着。


Taring Padi
















やっぱアジトだった!っていうくらい、夜だからか雰囲気のある場所です。なんかオフィス兼ショップがあって、そしてそこ通り過ぎてでっかい矩形のオープンなスペースが彼らの活動拠点です。なんか言い方がちょっとあれですけど、マジでレジスタンス活動拠点て言葉がしっくりはまります。そして壁に飾られているポスターをいろいろ説明してくれます。前回の選挙(占拠じゃないよ)の前に作ったプロバガンダのポスターです、これを町に貼っていくそうです。そしてもう1つは政治的に虐げたれた村の人たちに頼まれて作られたカレンダーの元絵。そしてスペースを見せてもらったあとでメンバーの人たちに話しを聞きます。昔は組織の中にプレジデントがいてそれをトップに統率されていましたが、今はディビジョンに分けて、それぞれの役割を配置して活動しているようです。広報、美術、商品開発、的にね。そしてプロジェクトがあるごとにメンバーで話し合ってどういうユニットを組むか決めるそうです。てかもう完全に社会組織です。その上、個々の活動もある中、Taring Padiとしてのプロポーサルも個々で行っているようです。僕だったら自分のことしかプロモートしないのに、なんとしっかりメンバー意識のあること!
そして教育のセクションもあって、メンバーの英語ができる人が他のメンバーのために英語教室を開いたりしているそうです。また、いろいろ地元の子供たちにワークショップやライブを行っているとのことです。とはいえ、かたやアチョンみたいなメンバーもいるし、なんかマンガの世界見てるみたいだった。







そんな話しを聞きながら、僕の周りにはほんとこういうのないなって思いました。
そんな風に感心してしまったんで、しっかり彼らの本買っておきました、あとTシャツ!なんかさ、最初アーティストがTシャツ作るとかどうなんだよ?って思ってましたけど、今はかなり肯定的になってます。つか、デザインして自分で作って売ってお金にする(彼らの場合はTシャツ自体がプロバガンダの一旦を担うし)、めっちゃ現実的やないか!って思ってます。それで僕はTシャツもお買い上げさせてもらいました。


音楽をする人、絵を描く人、政治活動をする人、リサーチをする人、ただ遊びにくる人、それぞれ出身も宗教も違う、そんな様々な人が組織されて1つのTring Padiという活動に集約されている。インドネシアならではの、本当にハイブリッドなグループだなと思います。ただ今は政治的な抑圧がじっさい薄れてきているので、その活動のメッセージも様々になってきている、と冷静に分析している面もあり、とても興味深いなと思いました。


あとでご飯を食べながら、みんなと喋ってたんですけど、ほんと家族みたいな感じなんですよね、「お前もメンバーになるか?」って気さくに言われて、日本にしかいないけどいいの?って思いつつ、ふわっと話しを流しておきましたけど、なんかやっぱいいやつらなんですよね。「今日は俺たちのところに来てくれてありがとう」って、実際は僕が感謝するほうなのに、何だろ組織を運営していくってさ、こういう1つ1つの繋がりにちゃんと目を向けていく、そんな統率のとれてかつ非常に人間じみた人たちだなって思いました。
こちらこそ、ありがとうでした、Tring Padiのみんな。


それで、帰ってきました。なんかさ、KUNCIにいる人ってみんなここジョグジャの主要なオルタナスペースの関係者なの、なんかさそう考えたら、このKUNCIってやばくね?
僕にとってはすごいいい場所だなって思う。

って、あー、もう1日が過ぎちゃった。
でもあのTring Padiの拠点のある場所、いい場所だったな、砂糖工場が近くにあったりしてやっぱりすごくここインドネシアの状況を考えるにはとてもいい場所だと思ったし、それよりなんか密林がすごくよかったな。
日本に密林ないかな?友達がすっごい山奥にスタジオ構えているけど、密林ていうより雑木林だからな〜、やっぱ南国はいいな。



ではでは地球の皆さん、おやすみなさい。


2012年12月9日日曜日

Fact or Fantasy, but almost Truth

私は世界の孤独をすべて引き受けてきた。
家で1人で過ごすことから始まって、大洋を船で彷徨ったこともある。
そしてまた別種の孤独と会うこともしばしばあった。
その度に私はそれぞれの孤独をもつ者たちに決まってこう言った。
「いいかい、私が一番、孤独なのだ。君ではない。だからそんな顔するな」
私がそう言うと彼らは不思議そうに私を見る。
惨めだと、哀れだと、救いようがないと、私は知っている。
そんな私が初めて孤独に気がついたときがある。
それは私が子供の頃の話しだった、私は虫と暮らしていた。
虫は好きなように私の狭い部屋を飛び回っていた。
ある夜のことだった、その部屋には窓があってそこから真っ暗な空が見えた。
そして月が見えた、そして飛んでいた虫が窓に張り付いて、
窓越しの月に重なろうと動いていた。
そしてすぐに月と重なって2つとも交わって見えなくなった。
そのとき私は気がついた、私は孤独だと。


はい皆さん、お元気ですか?
僕ですか?そうだな、そろそろ本音で喋ってもいいころだよね、もう時間は十分経ったし。
僕はね本当のところ、そんな元気じゃないですよ、ほんと毎日浮き沈みが激しい。
別にそういう病気じゃないですよ、だけど、こっちに来る前からもそうでしたが、
本当に凄惨な時間を過ごしてました。そんなわけで、こっちに来てからほんと毎日の気持ち作りは大変なものでした。だけど、こっちに来て本当になんかいろいろ変わっていきました。
人に会い、話し、そしてその中で、つくづく何かを信じてるっていいことだなって思いました。皆さんは何を信じていますか?僕は特定の宗教をもちません、だから胸を張って何かを信じているっていえるものはありません。だけど何ですかね、こっちに来てから何かを信じることの空気、それに溢れているこの町に影響をもらって、とても心が満たされています。
だからね、今日はちゃんと言いますね、僕は普通に生きてますよ。


さてさて今日は日曜日、そしてあとここいれるのも本当に僅かになりました。
だから予め言っておきますけど、めっちゃ愛しさと切なさと心強さを表現していきますんで、そこいらへんよろしくおねげーします。そんな今日はですね、朝っぱらから水がでないってことでアチョンが居候しているアーティストのスタジオにシャワー借りに行きました、それでついでにってことでアチョンのドローイングを見せてもらいました、彼が刑務所の中で書いたドローイングや日々書き溜めているドローイング。彼の線は独特で、そして祈りみたいなものが込められているように見えます。それがストリートという言葉と合わさって、本当に独特なものを作っているなって思えます。
それで朝方、檻の中にいたときの話しを聞いてて、彼は楽しそうに言うもんですから、朝方からわっはっはってな具合に話しておりました。






帰ってきて、何かいろいろDinaさんとこのプロジェクトについて打ち合わせをして、そのあとで映画を見に行きました。



「Life of Pi」、事前情報なかったけど、面白かったです。
なんかインドの人の話しなんだけど、ここインドネシアで見たからか妙に主人公の男性に感情移入しちゃった。英語の発音とかがごもごもたどたどしくて、そこらへんも妙にここで見たリアリティがありました、って内容は勿論、日本でも見れるのでお近くの映画館でチェックしてみてください、って俺この映画の広報してどうすんだ。




そんな日曜日、HokaHokaBento に食べに行ったらスタンディングコメディ大会がやってました。なんか学生街ということもあって、学生らしき人たちが集まってわいわいレストランの中でやってます。ここの近くにはガジャマジャ大学(かわいい名前だよね)があって
、そんなわけで学生が多いんですけど、学生の雰囲気ってほんとにどこも変わらないなって思うんです。これから何をするかまだまだ分からない、どこかに向かおうとしているんだけどその始まり。僕も学生時代がありましたけど、あれはあれでよかったけどもう戻りたくないな、って思いながら彼らが笑ってる姿を見てました。



それで帰ってきて、今日はもう呑んじゃおうぜって、いつものメンバー、エリアさんとDinaさんとWoWok兄さんとビールを買ってきてKUNCIの庭で呑むことにしました。

この庭にあるベンチとテーブルにはほんと世話になったんだよね、ここには色んな人が集まって会議やら下らない話しやらしていくんです。晴れた日にはベンチに寝転がって、僕も適当な話しをしたりしてました。家の中が暑いから、インドネシアの人たちは家に帰ると家の外にでて路上で近所の人と話す習慣があるんです。路上を過ぎるとき、座って話している人たちをこの滞在中にどこでも見ましたが、何を喋っているか皆目検討がつかないけど、ほんとよく喋っている姿を見かけます。ここKUNCIの庭はそんな意味でもとても僕にとって象徴的なインドネシアな場所です。外に集まって、やってきた近所の人たちとベラベラ話す、音楽やっている人もアートをやっている人も舞台俳優もリサーチしている人も色んな人がきてここで話していくんですよね。
それで呑み始めて、映画の話しになって、映画の内容に触れちゃうんで詳しく言えませんが(映画広報の立場上、って違うけど)、とにかく自分の体験をそれぞれ話すときに、尾ひれなりをつけて事実がもっと違うファンタジーになることってありますよね。Dinaさんの亡くなったおばあさんもそんな話しをすることがあったらしく、毎回同じ話しをするんだけど、ちょっとずつ話しの詳細が変わっていく。おばあさんの恋の話しなんですけど、話しの軸は、つき合っていた彼氏が彼女の親友と密通していて結婚することになり、ショックをうけた彼女は目が見えなくなる、そして病院に行って治る。って話しなんですけど、目が見えなくなった理由が涙を流しすぎて目が機能しなくなったとか、病院に行って入院していたときスカルノ大統領が訪問してきて、それで治ったとか、体験に自分の気持ちが入ってどんどんファンタジーになっていくみたいなんです。それで結局、そのつき合っていた彼氏は結局その彼女の親友と結婚するんですが、実のところ彼女のことをずっと好きだったと気づいて、彼女が他の男性(Dinaさんのおじいさん)と結婚したあとも、昼になると彼らの家にきて一緒に食事をとっていたそうです。長い間。ただこれは事実だそうです。事実の方が、実際ファンタジーより不思議なことがあるけど、そういうものですよね。
で、そんな話しをしながら、僕も僕の知っている恋の話しをし始めました。
「僕の父さんは見合いを13回してね、そのあとね、、」



ではでは地球の皆さん、おやすみなさい。