2012年12月9日日曜日

Fact or Fantasy, but almost Truth

私は世界の孤独をすべて引き受けてきた。
家で1人で過ごすことから始まって、大洋を船で彷徨ったこともある。
そしてまた別種の孤独と会うこともしばしばあった。
その度に私はそれぞれの孤独をもつ者たちに決まってこう言った。
「いいかい、私が一番、孤独なのだ。君ではない。だからそんな顔するな」
私がそう言うと彼らは不思議そうに私を見る。
惨めだと、哀れだと、救いようがないと、私は知っている。
そんな私が初めて孤独に気がついたときがある。
それは私が子供の頃の話しだった、私は虫と暮らしていた。
虫は好きなように私の狭い部屋を飛び回っていた。
ある夜のことだった、その部屋には窓があってそこから真っ暗な空が見えた。
そして月が見えた、そして飛んでいた虫が窓に張り付いて、
窓越しの月に重なろうと動いていた。
そしてすぐに月と重なって2つとも交わって見えなくなった。
そのとき私は気がついた、私は孤独だと。


はい皆さん、お元気ですか?
僕ですか?そうだな、そろそろ本音で喋ってもいいころだよね、もう時間は十分経ったし。
僕はね本当のところ、そんな元気じゃないですよ、ほんと毎日浮き沈みが激しい。
別にそういう病気じゃないですよ、だけど、こっちに来る前からもそうでしたが、
本当に凄惨な時間を過ごしてました。そんなわけで、こっちに来てからほんと毎日の気持ち作りは大変なものでした。だけど、こっちに来て本当になんかいろいろ変わっていきました。
人に会い、話し、そしてその中で、つくづく何かを信じてるっていいことだなって思いました。皆さんは何を信じていますか?僕は特定の宗教をもちません、だから胸を張って何かを信じているっていえるものはありません。だけど何ですかね、こっちに来てから何かを信じることの空気、それに溢れているこの町に影響をもらって、とても心が満たされています。
だからね、今日はちゃんと言いますね、僕は普通に生きてますよ。


さてさて今日は日曜日、そしてあとここいれるのも本当に僅かになりました。
だから予め言っておきますけど、めっちゃ愛しさと切なさと心強さを表現していきますんで、そこいらへんよろしくおねげーします。そんな今日はですね、朝っぱらから水がでないってことでアチョンが居候しているアーティストのスタジオにシャワー借りに行きました、それでついでにってことでアチョンのドローイングを見せてもらいました、彼が刑務所の中で書いたドローイングや日々書き溜めているドローイング。彼の線は独特で、そして祈りみたいなものが込められているように見えます。それがストリートという言葉と合わさって、本当に独特なものを作っているなって思えます。
それで朝方、檻の中にいたときの話しを聞いてて、彼は楽しそうに言うもんですから、朝方からわっはっはってな具合に話しておりました。






帰ってきて、何かいろいろDinaさんとこのプロジェクトについて打ち合わせをして、そのあとで映画を見に行きました。



「Life of Pi」、事前情報なかったけど、面白かったです。
なんかインドの人の話しなんだけど、ここインドネシアで見たからか妙に主人公の男性に感情移入しちゃった。英語の発音とかがごもごもたどたどしくて、そこらへんも妙にここで見たリアリティがありました、って内容は勿論、日本でも見れるのでお近くの映画館でチェックしてみてください、って俺この映画の広報してどうすんだ。




そんな日曜日、HokaHokaBento に食べに行ったらスタンディングコメディ大会がやってました。なんか学生街ということもあって、学生らしき人たちが集まってわいわいレストランの中でやってます。ここの近くにはガジャマジャ大学(かわいい名前だよね)があって
、そんなわけで学生が多いんですけど、学生の雰囲気ってほんとにどこも変わらないなって思うんです。これから何をするかまだまだ分からない、どこかに向かおうとしているんだけどその始まり。僕も学生時代がありましたけど、あれはあれでよかったけどもう戻りたくないな、って思いながら彼らが笑ってる姿を見てました。



それで帰ってきて、今日はもう呑んじゃおうぜって、いつものメンバー、エリアさんとDinaさんとWoWok兄さんとビールを買ってきてKUNCIの庭で呑むことにしました。

この庭にあるベンチとテーブルにはほんと世話になったんだよね、ここには色んな人が集まって会議やら下らない話しやらしていくんです。晴れた日にはベンチに寝転がって、僕も適当な話しをしたりしてました。家の中が暑いから、インドネシアの人たちは家に帰ると家の外にでて路上で近所の人と話す習慣があるんです。路上を過ぎるとき、座って話している人たちをこの滞在中にどこでも見ましたが、何を喋っているか皆目検討がつかないけど、ほんとよく喋っている姿を見かけます。ここKUNCIの庭はそんな意味でもとても僕にとって象徴的なインドネシアな場所です。外に集まって、やってきた近所の人たちとベラベラ話す、音楽やっている人もアートをやっている人も舞台俳優もリサーチしている人も色んな人がきてここで話していくんですよね。
それで呑み始めて、映画の話しになって、映画の内容に触れちゃうんで詳しく言えませんが(映画広報の立場上、って違うけど)、とにかく自分の体験をそれぞれ話すときに、尾ひれなりをつけて事実がもっと違うファンタジーになることってありますよね。Dinaさんの亡くなったおばあさんもそんな話しをすることがあったらしく、毎回同じ話しをするんだけど、ちょっとずつ話しの詳細が変わっていく。おばあさんの恋の話しなんですけど、話しの軸は、つき合っていた彼氏が彼女の親友と密通していて結婚することになり、ショックをうけた彼女は目が見えなくなる、そして病院に行って治る。って話しなんですけど、目が見えなくなった理由が涙を流しすぎて目が機能しなくなったとか、病院に行って入院していたときスカルノ大統領が訪問してきて、それで治ったとか、体験に自分の気持ちが入ってどんどんファンタジーになっていくみたいなんです。それで結局、そのつき合っていた彼氏は結局その彼女の親友と結婚するんですが、実のところ彼女のことをずっと好きだったと気づいて、彼女が他の男性(Dinaさんのおじいさん)と結婚したあとも、昼になると彼らの家にきて一緒に食事をとっていたそうです。長い間。ただこれは事実だそうです。事実の方が、実際ファンタジーより不思議なことがあるけど、そういうものですよね。
で、そんな話しをしながら、僕も僕の知っている恋の話しをし始めました。
「僕の父さんは見合いを13回してね、そのあとね、、」



ではでは地球の皆さん、おやすみなさい。


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