2012年12月5日水曜日

expression with life, we are creating everyday

間違って進んでいく、これは大丈夫?って思って
でもやっぱりいつまでも行きたいところに辿り着かない
だいぶ歩いたところで、あー間違ってたんだって気がつく
しばらく考える、ほんとちょっとの間
で、開き直る、これでよかったんだって
それでどんどんもともとの道からずれていく、
暗い道をがんがん進んでいく



はい皆さん、お元気ですか?


あー髪がぼうぼう伸びて、なんかほんと大変なことになってる!昔の中国の俳優みたいにくっきり8分わけができちゃう、そんで会う人会う人に、「髪切ったら?」って言われる、こっちで髪切ると100円くらい、でもめっちゃ不安、いつも僕は自分で髪切ってるんですよ、一番安上がりだし、自分で切るから文句もないでしょってことで、だけどほんとぼっさぼっさでね〜、でもあと10日間だし、我慢できないこともない、てか僕はいんだけどやたら「髪、大丈夫?」って心配されるから、、って帽子かぶっちゃえば関係ないのさ!そんなあたいは帽子が浮いちゃうくらい、ぼうぼう伸びた髪を今日もくっきり8分分けさ!ってほんとどうでもいいね、これ。

あ、今日もモスクからなんか音楽が聞こえてくる。
この音楽にも慣れたな〜、生活ってすごい勢いで習慣を作るんですよね。


今日は朝から映画見てきました、ガリニ・グロッホって人の映画で、いま映画祭がやっていてそして今日は朝から彼の映画が上映されるとのことで見てきました。
それで行ったら、入場料タダ、やっば!そして席につくと、なんかおじさんたちが前のステージで喋ってる、あとから聞いたら、そのおっさんが映画監督とのこと、めちゃくちゃ至近距離で話してる、すっごいフランクだな〜。


それで映画スタート、英語字幕なしってことで言葉は分からないんですが、2つのストーリーがあって、1つは政治活動に参加していく若い女の人のストーリー、もう1つはテロ活動に参加していく男の人のストーリー(間違ってたらごめん)、どちらもイスラム社会とインドネシアの国家っていう問題を抱えつつ、所得階層の問題も抱えつつ、物語が進んできます。言葉がなくてもわりあいここらへんは分かります。政治的なメッセージですが、自然光で撮影をする監督ということで、全編とてもきれいな映像に仕上がってます。ちょっと役者によっては演技過剰な気がしたんですが、「インドネシア」はドラマティックなものが好きなんだよって、WoWok兄さんは言います。



そんなんで、見終わってKUNCIに帰ってきて、いろいろやりとり。

それで夕方にSenyawaのボーカルの人が来て、ミュージッククリップとか見てて、それがめちゃくちゃジョグジャな感じで、何かネットで見れるって言われたけど詳しくはあとで聞いておきます。


そのあとアンダリクサさんと一緒に前々から誘われていた舞台を見に行くことに。
全然、事前情報なくて車の中で教えてくれて、なんか舞台自体はそんなに重要じゃない、何しろそのバックグラウンドが面白いんだって言うんです。内容は?って聞くと、
「基本的にインドネシアの舞台は2種類のヒンドゥーの神話をもとにしていて、ラーマーヤナとマハーバーラタがそれなんですが、それにアレンジを加えてそれぞれのテイストに仕上げている、特にコメディのパートがあってそこは自由に創作できる」とのことです
そんなわけで、どんなところなのかまったく分からないまま、暗い田舎道を進んでいくと着きました。なんかうらぶれた、スナックみたいに小さな照明が灯っている、ぼろっちい家屋があります。いかにもやばい見せ物小屋の匂いがぷんぷんする、そして入り口みたいなところがあって、そこで入り口のおばさんと軽く挨拶、アンダリクサさんは今、この人たちとプロジェクトを進めていて、それでもう仲がいい状態。それで、その入り口をすぎて、中へ。



イヤー、やばい。本当にやばい見世物小屋の空気が半端ない!かなり気合いが入ってる。
そしてそのステージの裏側に行きます。そこで今日の打ち合わせ、座長みたいな人が今日でる出演者を決めています。みんな頭にシナリオが入ってるから、細かい打ち合わせはないそうです。そしてさらにその奥にすすむと小さな小屋がまとまって本当に小さな村ができています。そこに子供とかが遊んでいる。






彼らは、いわゆる旅芸人でした。地方地方を回って、興行をする。1地方に1年から2年ほど小さなコミューンを作って住みます。住居と舞台がセットになったコミューンです。
毎週2回行われる興行、1回につき1人6000ルピア、1人の役者が得られる一週間の収入は12000ルピア、日本円にして120円です。勿論、それでは生きれません、だから舞台がない日は、街に出て働いています。それじゃ、どうして舞台をするの?ってほんと素朴に思いますよね。それでアンタリクサさんに聞いてみます。「もう彼らの生活の一部なんだよ、生き方そのものになってる」と彼は言います。そんな生活を彼らはもう何十年も続けています。少なくともこの形になってから13年、東ジャワからずっとこうやって旅をして舞台をし続けているとのことです。
そのコミューンはすごく簡易的なものです。寝る場所とちょっとした飾り物、普段の生活を見ていませんが、とても質素なものに見えました。


それで舞台が始まります。本当は9時からなのに40分押し。さすがの貫禄!お客さんも地元の人なのかばらばら入ってきます、とはいえ、かなり閑散としてますが。それで早めに練習なのか、音楽が鳴り始めます。舞台の前にある囲いの中でガムラン演奏です。
なんか笑いながら、普段着でおっさんたちが演奏、タバコを適当に吸って演奏、お互いをときどき見つつ、気楽にコンコン叩いています。そして、それが大きな音楽となって、賑やかな音になります。

僕は他の村でガムランを聞いたことがありますが、かなり音色が違いました、彼らのバックグラウンドを聞いたからか分かりません、でも彼らの音は生活の中から出てきたハレ的なもので、しかもずっとそうやって叩いていたからでしょか、とても親しみや憂いがあるんです。僕は適当にポンポコ叩いているおっさんの背中を見つつ、この演奏がうまいかどうか分かりませんが、なんか、マジで、感動して泣いちゃいました。

そして舞台が開いて、パフォーマンスが始まります。




僕は自分の作品の中でもそうですが、なんで人は表現するのか、物を作るのか、ということを考えています。そこに、何で?って質問をたてるのは馬鹿げたことかもしれませんが、人の生き方のことを考えるとき、このことを考えることがとても重要だと思うからです。今日見た、舞台をして回る人たちの生き方は、いや生き方ってより彼らの作った舞台がすごくよかったのは、何でなんだろう?って思うんです。感覚なので、まだうまく言葉にはできないんですけど。彼らの生き方と表現にとても感動しました。



ではでは地球の皆さん、おやすみなさい。


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